「死ぬまでファッションを楽しみたい」そう叫ぶ中川友里が描く未来とは─

羽織るだけで胸が高まるブランドをつくる。 モード×音楽×ストリート。 AWのコンセプトはダークファンタジー。

yuri nakagawa

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バチェラー・ジャパン3出演。音楽、アート、ファッションなど幅広い分野に興味を持つ。2019年10月から「bpm150」のブランドリリース。

イベントのDJをはじめ、インフルエンサーのキャスティングや動画メディアのライターなど、マルチに活躍している友里さん。

大好きなファッションの道は、家族に反対され一度は閉ざされたあと、自らの力で切り開いてきました。

がむしゃらに走り抜けた20代を終えて、リセットする意味でも自分を見つめ直しているのだそう。「歳をとっても自分の思うままに表現したい」という友里さんに、心境の変化を伺いました。

中川友里 picki

 

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今のキャリアを志望したのはどうしてですか?

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YuriNakagawa

元々ファッションに関わる仕事をしたかったんですが、母が服飾関連の学校出身で、今後のアパレル業界の展望に不安を感じていたのか、服飾の専門学校に入学させてもらえませんでした。

それでもファッションは大好きで、ファッションの仕事に就きたいと、大学生の時には自分一人で契約書を撒いて撮影モデルをしていました。

大学を卒業するタイミングで、アパレル企業からの内定を複数社もらってはいたものの、一つの会社に縛られて働くことで余裕がなくなり、自分がやりたいことができなくなるのではと……。結局、就職は断念して、個人で活動することにしたんです。

ただ正直なところ、モデルの限界が25、26歳くらいと薄々気づいていました。この道で生きていくには、モデル以外の別の強みを身につけないといけないと思い、ショップ店員や音楽情報番組のMC、アルバイトの延長でバイヤーなど幅広くアパレルに関われる仕事をしてきました。

中川友里 DJ

 

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京都の大学を卒業し東京に上京されたきっかけは?

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当時受けていた、雑誌『ナイロンジャパン』のモデルオーディションが最終まで進んだ際に、事務所の人に東京に行ってみないかと声をかけられたんです。

東京では毎晩のようにイベントに誘われ、知らない人と会う日々で、こんなことをして何の意味があるのだろうと思ったことも……。ただ今思うと、当時の繋がりのおかげで今仕事をいただけていると身に沁みて体感しています。

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20代を振り返ってみて、自分の中での変化はありましたか?

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上京して間もないとき、毎日分刻みで予定を詰めて、時間が空いたらイベントやキャスティング、クライアントさんとの飲み会に顔を出していた時期もありましたが、 最近では、自分のための時間をしっかりつくるようになりました。

お花を習ったり、ヨガやダンスレッスンを受け、自分の中の感性を磨いています。“コンクリートジャングル”の東京で生活をして育って駆け抜けてきたからこそ、一回リセットする場も大事だなと思うようになりました。

中川友里 バラ 薔薇

 

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今後の目標について教えてください

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YuriNakagawa

長生きできたら、ニューヨークなどで活躍するアイリス・アプフェルみたいなお洒落おばあちゃんになりたいと思っています。歳を取っても自分の着たい服を着て、自分の思うままに表現をしている姿が素敵。

日本の息苦しさを考えると難しいと思う時もあるけど、どうせ日本に住むのであれば目指していたいんです。

長生きしないなら、毎日が濃い人生を送れればいいとも思いますし、自分が生きた証をきちんと残して歩んで行けば十分です。